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降誕日・クリスマスメッセージ

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管理人Sです! クリスマスおめでとうございます。 教会では昨日今日とこの挨拶が交わされました。 とても喜ばしい挨拶です。  さて、本日の岐阜聖パウロ教会の降誕日礼拝の中での クリスマスメッセージを 皆さんにも少しおすそ分け。 松本先生からのクリスマス・プレゼントです。 ヨハネ福音書 1 : 1 ~ 14 節  クリスマスは「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」 ( ルカ 2 : 12 )の存在から始まる出来事です。 ヨハネの福音書では 「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている 乳飲み子」の存在を 「まことの光」(ヨハネ 1 : 9 )として示されました。 ルカの記述の主の天使が羊飼いに照らしたような、又マタイ伝の 学者たちを導いていった星のような…、いやそれ以上の特別で 神的な本物の光が“飼い葉桶の乳飲み子”を顕わしていると ヨハネは語ります。 そして続けて言うのです。「その光は、暗闇の中で輝いていて、 この世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ 1 : 5 と 1 : 9 )と。  ヨハネは他のところで「神は、その独り子をお与えになったほどに 世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を 得るためである。」 (3 : 16 )という、クリスマスに相応しいみ言葉を語りました。 “飼い葉桶の乳飲み子”の存在は、神さまがこの世や私たち人間を 愛された結果、この世にお生まれになった存在であると、語るのです。     従ってクリスマスは、私たちに対する神さまの愛が明らかにされた日 でありますし、神さまがこの世や私たち人間に乳飲み子イエスを贈って 下さった・プレゼントされた時であると言っていいのであります。 皆さんに神様からの幸せがたくさんありますように。

クリスマスイブ

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管理人Sです! ご無沙汰していました。 クリスマスイブの夜は皆さんいかがお過ごしでしょうか。 パウロ松本司祭から皆さまへクリスマスメッセージです。  ルカ 2 章 8 ~ 20 節。    クリスマスの物語は、夜の物語です。 赤ん坊の誕生を最初に知らされたのは、夜、寝ないで羊の番をしていた羊飼いでした。 天使達から知らされた羊飼いたちは、“主が知らせて下さったその出来事”を見に行こう、 と夜のうちに出かけました。 彼らが探し当てたその場所は飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子でした。 夜でしたし、きっとそのような場所でしたから明かりもちゃんとしていなかったことでしょう。    この物語がなぜ“民全体に与えられる大きな喜び”なのでしょうか?   ヒントは①夜②労働者としての羊飼い③飼い葉桶 ( 勿論これが最も重要なのですが)の 象徴的意味にあります。  そして答えは、聖歌102番の歌に示されています。 「深い闇のさなかに きらめく星は 道に迷う人への 神のまなざし」 「風にすさむ砂漠に 咲き出る花は 涙ためた人への 神のかがやき」 「疲れ果てた心に ささやく声は 待ちこがれた人への 神のおとずれ」 だから私たちも歌います。 「メリークリスマス!神のみ子よ、 ハレルヤクリスマス!歌え喜べ、喜びの夜」と。 皆さんに神様からの幸せがたくさんありますように。

無条件の赦しについて

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管理人Sです! しばらく更新しなかったので久しぶりの感じです(笑) 今日は「無条件の赦しについて」松本司祭の説教から要約です。 私は赦せないような怒りを感じてしまった自分を赦すと、相手も 赦せるようになるのです。皆さんはいかがでしょう。 「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」 マタイ 18 : 21 - 35  当時のユダヤ教では、ヨブ記 33 : 29 によれば、同じ人への赦しは 3 度までで十分と考えられていました。 イエスさまのおことば<7の 70 倍>とは、赦しの回数を数えることを 無意味にする無限の赦しであり、しかもその赦しには「この場合には」 というような条件が一切付けられていません。 つまり無限・無条件の赦し、驚くべき寛容、それは「敵をも愛せよ」の 教え( 5 : 44 )に通じる考え方なのです。  従って、有限な社会の人間は、なんだかんだ理由をつけてなかなか 人を赦せない存在なのではないでしょうか。 「赦す」ということは途方もなく難しいことだと私たちは経験しています から、 「主の祈り」の<わたしたちも人をゆるします>のことばの前で 口ごもるこ とがしばしばなのではないでしょうか?  主イエスは、ご自身を十字架につける人々のために「父よ、彼らを おゆるし下さい。自分が何をしているのか知らないのです。」と罪の 赦し を祈られました。私たちはこの主イエスのお祈りに支えられて 初めて人を赦すことが可能だという条件が備えられるのです。 つまり私たちは<主イエスの十字架の愛とゆるし>が与えられなけれ ば、人を赦すことが出来ないし、<主イエスの十字架の愛とゆるし>の 神秘・奥義をより深くわかる信仰によってのみ今日の福音書の無限・ 無条件の赦しについて受け容れる事の出来るメッセージなのです。

今日も雨。

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管理人Sです! 岐阜市はカラッと晴れることがここ最近ありません。 どうしても雨より晴れに味方してしまいます。 雨が降らないのも困りますが、ここまで続くとつい・・・。 雨ニモマケズという宮澤賢治の詩というか祈りというか、あの有名な 文言を思い出します。あの文章は賢治の死後発見されたものですが、 賢治が病床で願い祈った言葉と思われます。 賢治は熱心な仏教信仰者だったそうです。 祈り方というのは人それぞれですが、賢治の祈りはとても真摯な願いを 含んでますね。 一方私の普段の祈りは・・・とても傲慢で物欲的! 賢治に知られたら、あぁ恥ずかしい(笑) 雨を恨まず、感謝のこころで過ごしたいものです。 皆さんに神様からの幸せがたくさんありますように。

熱中症に注意!

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管理人Sです! 暑い日が続いています。 広島市安佐地区の広域土砂災害にはこころが痛みます。 犠牲者の方々に神様の御許での平安をお祈りします。 次主日(次の礼拝がある日曜日)にも皆でお祈りします。 今日は熱中症の話題です。 家の中にいても熱中症になる場合があります。お気をつけください。 ほんとうに暑いときは我慢しないでクーラーつけてくださいね。 お部屋の気温に注意して、こまめに水分を補給してください。 熱中症予防に「塩レモン」はいかが? NAVERまとめ 簡単! 塩レモン・塩レモンドリンク もし万一熱中症ではないかと思われる症状が出た場合は 119番 。 遠慮はしないで電話しましょう。 こちらも参考に。でも急な場合は119番へ。 岐阜市の 救急病院案内 058-262-3799まで(24時間体制) さて、熱中症で病院へ搬送された場合、処置の内容や入院の日数 によりますが、健康保険適用で3万円~7万円くらいかかります。 高級な病院(聖路加病院など)はもっと費用が・・・。 仕事中なら労災適用も有るようです。 また入院保険の対象になる契約などケースバイケースですが、 費用が返ってくる場合もあります。 救急車や病院のお世話になるくらいなら予防をしましょうね。 皆さんに神様からの幸せがいっぱいありますように。

安心しなさい。

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Sです! 毎日暑い日が続いています。皆さんお元気ですか? 今日から夏休みという方も多いと思います。 毎月2回ほど牧師の松本司祭の説教を掲載しています。 8月10日の礼拝で語られたお話を皆さまにもお伝えします。 「安心しなさい。わたしだ。」 マタイによる福音書14:22-33  この箇所は「奇跡物語」です。ですから、イエス様は力あるみ業を行う 「神の子」で確かにそういうお方ですよ、と告げています。  しかし、同時に当時の教会(初代教会、マタイの教会)の人に向かって 語られている話しでもあるようです。物語に出てくる「船」は教会です。 「湖・海」という表象は聖書においては「浮き世 = この世」を表します。 ですからここで教会とは、浮き世の荒波を渡っていく弟子たちの乗ってい る船(イエスの弟子たちの群れ)だというイメージがあります。  物語の初めに「イエスは弟子たちを強いて船に乗せ、・・」とあります。 弟子たちは自分の意志で勝手に船に乗ったのでなくイエスに強いられ促 されて乗ったのです。そしたら「船は・・逆風のために悩まされていた」とい うのです。イエスに従って生きるということは、この世の風向きに逆らって 進むということなんでしょうか。弟子たちが、湖上を歩いておられるイエス を「幽霊だ」といっておびえ恐怖感をもったというように、この逆風の海の うえで、弟子たちは不安になってしまうのです。  その時イエスが「安心しなさい。わたしだ。」とおっしゃって、弟子たちを 励ましました。この「安心しなさい。」という言葉は、<勇気、大胆さ>とい う意味のことばの動詞形で「安心しなさい。勇気を出しなさい。大胆に元気 でしっかりしなさい。」と、この言葉によってマタイの教会は逆風に立ち向 かえる教会になったと思われます。  「安心しなさい。わたしだ。」のみ言葉こそ、今まで教会のあらゆる働きの 原動力となってきたし、今もこれからもそのような力となる事のメッセージが ここにはあるのです。

台風が過ぎ。

皆さんこんにちは。 東海地方は台風が過ぎまた暑い夏が戻ってきましたね。 この度の台風11号によって被害を受けられた多くの方々に お見舞い申し上げます。 先週今週は6日広島、9日長崎の原爆記念日そして、15日の 敗戦記念日と、69年前の戦争にまつわる悲惨な記憶を呼び 起こす期間です。 しかしこの悲惨な記憶すら失われた人々がいます。記憶に も記録にも残っていない人々がいます。戦争で亡くなった 多くの市民たちにはそのように身内も全て全滅し、原爆によ る熱線で一瞬のうちに蒸発してしまった人たちがいます。 たとえ誰かが覚えていても年月によって風化してしまいます。 忘れてしまうということは、また繰り返すことにつながります。 歴史の学びは良いことも悪いことも伝承し、良いことは更に 伸ばし、悪いことは繰り返さないための学びです。 あの時してしまった悪い戦争はどの様に始まったのか、どの 様に終わったのかを知ることが平和を守ることになるのです。 平和を守るのは武器ではなく知識と知恵です。 私たちは学ぶことでこの平和を維持しているのです。 胆略的な武力行使容認は、戦争への一歩につながります。 No More War, No More Hiroshima , No More Nagasaki! Asahi Digital News 岐阜聖パウロ教会 facebook

パレスチナ・ガザへの祈り

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管理人Sです。 毎日のように伝えられているイスラエルとパレスチナ・ガザ地区の 戦争のニュースには多くの方が心を痛めていると思います。 報道でイスラエルは7時間の休戦を決めたと伝えています。 (下記ニュース参照ください) 神はこのことを私たち同様に嘆き悲しんでいます。 パウロ教会では昨日(3日)の礼拝でもガザの犠牲者への祈りをしました。 そして武力での解決を一刻も早く止めるように祈りました。 私たちは非力ではありますが、無力ではありません。 私たちの力は祈りです。 武力による解決は武力によって崩れるのに、この地域の人々はまた武力 行使を選んでしまうのです。本当に愚かなことです。 指導者たちは安全なところにいて命令だけ出すのです。 そして犠牲になるのはいつも市民です。 戦争はいつの時代も理不尽で人々の絆も断つ恐ろしい行為です。 歴史実態からこのことを学んでる人は武力行使より、話し合いによる交流が 平和維持に有効であることを知っているはずです。 今すぐ話し合いをして、解決するべきです。 人間が起こしたことは、人間が解決できるのです。 日本も武力行使をするとこの様なことに巻き込まれます。 そうならないように憲法9条が大切なのです。 自衛隊を軍隊にしてはいけないのです。 イスラエル「7時間休戦」発表 ガザ死者1800人超す朝日新聞 デジタル版より エルサレム=山尾有紀恵 2014年8月4日09時54分 朝日新聞 デジタル版より

天の国とは・・・

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管理人MあらためSです! 毎日暑いですね。 今回は27日(日)の午前と午後のことをお伝えします。 先ず午前の礼拝から松本先生のお話をどうぞ。 「天の国」のたとえ 福音記者マタイは、「天の国は次のようにたとえられる。」というフレーズで、 主イエスが「天の国」について語っておられるのを記します。 そこで「天の国はどのような場所かなあ?」という問いをもって聖書を読みますと、 私たちは肩透かしを食らいます。 主イエスは、「からし種のたとえ」「パンだねのたとえ」 「畑に宝を見つけた人のたとえ」「高価な真珠を見つけた人のたとえ」 「よい魚は器に入れ、悪い魚は投げ捨てられるというたとえ」の五つのたとえ話をもって「天の国」についてお話しされたのでした。 最初の二つは“始めは人目につかないほどの存在であっても、 それはやがて全体を変え大きなものになる”というのが 天の国ですよ、 と語られていますし、 又続く二つの話によって天の国とは、“持っている持ち物をすっかり 売り払っても 手に入れたくなるほどの価値があるもの”ですよ、 と語られています。 (5つめのたとえは前4つとは趣が異なる話しで、イエスさまご自身のことばというよりもマタイの付加的話と見られています。) つまり、この主イエスが語っておられる「天の国」とは、 場所とか空間的なところを説明していません。 そうではなく「天の国」を“神の支配”として語られているのです。 「天の国」が、この“神さまの支配”ということならば、これは私たちの現実を 超えている世界です。ですから人間の理屈・解釈だけでは小さいし、 限界があります。 何かを分かったように思うのは“神さまの支配”の一部をわかったに すぎないのです。 そこで主イエスはおっしゃいます。 「何よりもまず、神の国(天の国)と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)と。 管理牧師 司祭 パウロ 松本 正俊 つづく。

Gifu St. Paul's Anglican Church. Open House.

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27日(日曜日)にこにこサマーフェスタです。 詳しくは写真のチラシをご覧ください。 petsa at oras : Hulyo 27 ( Linggo ), 11:45~15:00 Gumagamit ako naghihintay para sa iyo !  Corner ng ​​ mga Pilipino! Next Sunday (July 27),  11:45~15:00 Gifu St. Paul's Anglican Church. Open House. Anyone can join! 聖パウロ教会の地図:Paul's Map

種を蒔く人のたとえ

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管理人MあらためSです! 今日から時々松本先生の原稿を掲載して参ります。 そこでMだと勘違いされてもいけないのでSに変更した次第です。 ということで更に充実したパウロ教会のページを これからもよろしくお願いします! ☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★ マタイによる福音書第13章1-9、18-23節 このたとえ話しは、人々にイエス様は「種を蒔く」という言葉を使って “神さまの支配”について説き起されています。 当時のパ レスチナの農法は、私たちには簡単素朴に見えるのですが、 種をまず蒔くということから始まり、それからその後、耕したようです。 ですからまかれた種の中には、実を結ばずに終わるものもありました。 それでも農夫は実りを信じて種を蒔き、忍耐強く実りを待ったんだそうです。 このたとえ話は当時の農法を熟知している人々に「神さまもこの農夫のように イエス様を通して蒔かれたみ言葉が実を結ぶのをじーっと待っていらっしゃる のだよ。」と語っているのです。 「種を蒔く」のは神さまです。(キリスト教会の人は、伝道する時によく 「種蒔きをする」と言いますが、誤解しやすい言い方です。) 神さまは多種多様な種蒔きで、実が結ばないものや、 良い麦の中に毒麦があった(マタイ13:24-30)としても、 忍耐強く、希望をもって実りを待つお方なのです。 私たちは、神さまと共に、 実りを忍耐強く希望をもって収穫を待ち望む者なのです。 岐阜聖パウロ教会 管理牧師 司祭 パウロ 松本 正俊

愛岐伝道区信徒会

管理人Mです! 1年の半分を折り返し7月になってましたね。 ご無沙汰してますorz   梅雨の合間の先週6月29日に名古屋聖マタイ教会で行われた信徒会について、 書いておきます。 この信徒会というのは聖公会の愛知県と岐阜県の11の教会の信徒さんに向けた 研修会で、 年1回おこなわれます。 今年は幹事教会が私たち岐阜で 103名の参加を頂きました。 今回の研修会のテーマは「終活」でした。 終活とは・・・wikiで調べて・・・分かりましたね。ここは手抜きします(笑) 若い人はカンケーねーと言うかも知れませんが、親のことや、おじいちゃんおばあちゃん のことを思い出すと、ちょっと関係してくる内容です。 今回は東京聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂・嘱託司祭の 関 せき   正勝 まさかつ 先生によ る 基調講演 から 始まりました 。 ところで聖路加病院はご存知?またwikiでお願いします(笑) 関先生はその病院の礼拝堂の牧師さんです。 以下はその講演の内容を本当に短く紹介します。 病院にいる 視点から、 延命措置 や 脳死 など死の 基準が 当初よりも 緩やかにな り、 医療はますますビジネス化 していると感じます 。 こ れに 対しリビングウイル(生前に意思表示した書面)が 重要さを増している 。 在宅医療はまだごく一部で病院での死が一般的である。その 終末期医療で人らしく 尊厳ある死を実現するためには自分の病状にたいする真実の告知が不可欠。 その際医師との信頼関係が築かれていること。また、家族や親しい者と自らの死について 話し合っていることが大切。 その人生にふさわしく死を迎えることこそ「尊厳ある死」で、人は生きてきたようにしか 死ねない。リビングウイルに書き込まれる事柄もその人にとって「ふさわしい」ものが 記されなければならないと結ばれました。 これが関先生のお話ですが、死を考えるとその前にある「生きること」がクローズアップ されてくるのですね。 この講演を聞いた方々はさっそく家族でこれからのことを話してみたいということでした。 終活のコツはコミニケーションだったのですね。 人生の最期の時を人間らしく、安らかに迎えるためには家族や周りの人との協力や サポートがあるといいのです。 え?お一人様は?そう

もうすぐイースター (Easter worship)

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Guidance revival Date sacrament of (Easter worship). It is the worship of Japanese Gifu Paul's Church. There is guidance of worship in English below. 聖公会をはじめキリスト教界は聖週と呼ばれる聖なる1週間を迎えています。 聖週の説明は様々なサイトで紹介されていますので省きますが、 いよいよ20日日曜日は「イースター」(復活祭)です。 私たちクリスチャンは「死は終わりではない」という考え方で生きています。 これはキリスト教の教義(教え・信仰)のひとつです。 死はとても怖いと考えるのが一般的です。 しかし、その最期を過ぎればまた新しいいのちが与えられるのです。 少し難しいのですが、簡潔に説明してしまうと、 私たち地上での生涯を過ごしていますがその命は神様から与えられました。 そして息を神が引き取られ、また新しい天上での生涯を与えられます。 そして常に地上と天のつながりは続いていくという信仰(教義)です。 この教義はこの聖週のできごとから生まれました。 いまから2,000年も前のできごとです。 さて、20日のイースターを心待ちにしているTさんがいます。 その方は目が見えないご高齢のご婦人です。 いつもは岐阜県の隣の滋賀県の老人福祉施設で生活されています。 目が見えないので手紙のやり取りは困難です。 最近は耳も聞こえなくなってきていて電話も困難になってしまいました。 しかしTさんはいつも岐阜の教会の皆さんのことをお祈りされています。 私たちもTさんのことを思ってお祈りしています。 このように他人同士でも神様の腕の中にいるので離れていても常につながっています。 いま世の中は通信回線でつながっている時代です。 しかし、回線がつながらない世界とも常につながることができるとしたら素敵ですね。 そんなつながる世界への入り口が、教会なのです。 日本聖公会 岐阜聖パウロ教会 復活日聖餐式(イースター礼拝)のご案内。 4月20日(日) 午前10:30~12:00 どなたでも参加できます。 ・はじめての方は入り口でその旨をお申し出ください。  

別れと出会いの季節

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管理人Mです! 列島は春の便りが届く一方で強風や降雪も。 北日本や中部も山間部は雪がすごかったですね。 さて、この季節は卒業式シーズンでもあります。 この春に環境が変わる方々も多いのでは? そして4月になると新たな出会いが訪れる季節に。 教会の暦も今は慎みの季節と呼ばれ、派手なことは慎むことが求められます。 その後慎みが明けると、イースター(復活祭)となります。 冬があるから春の暖かさが嬉しく感じます。 不必要なことなどないのです。 社会も教会も新しく生まれ変わるということをこの季節に学ぶのですね。 このことを詳しくお知りになりたい方は是非私たちの教会へどうぞ。 皆さんに神様からのお恵みがたくさんありますように。 写真は教会に咲く「レンテン・ローズ」

だいじに・東北

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管理人Mです! 皆さんお元気ですか? 先日3月11日は各地で東日本大震災被災者の方々に向けて 共に祈りを捧げました。 各地の祈りはWebニュースでも取り上げられてましたね。 私たち岐阜聖パウロ教会では毎主日の(毎週日曜日の)礼拝の中で 東日本大震災の祈りに加え、長野県栄村(中部の同じ仲間)の 震災被災地のことも忘れずに毎週、毎回、お祈りをしているんですよ。 さて今日は「いっしょに歩こう!パート2」のことを紹介します。 日本聖公会・東北教区では東日本大震災支援「いっしょに歩こう!パート2」の ボランティア活動をおこなっています。 皆さんはボランティアに興味ありますか? 福島県相馬郡新地町に活動拠点を設け、 被災して困難の中にある方々と“いっしょに歩く” というスローガンの下、様々な活動に取 り組んでいます。 東北教区のサイト↓ ↓ ↓ このリンクから「だいじに・東北」へ。 http://www.k4.dion.ne.jp/~nskk.toh/ 岐阜聖パウロ教会も協力しています。 東北に行けないけどボランティアしてみたい人は是非教会に来て手伝って下さい。 今なお被災して日常を取り戻せない方々のことをこころに想い浮かべましょう。 一方で私たちは、普段と変わらず日常を楽しく過ごしています。 その感謝を忘れずに、私たちができることを、有形無形の支援をしていくこを大切にしたいですね。 今年も小さな活動ですがしっかりと続けていきます。 皆様のご協力をお待ちしています。 支援イベントの事などは後日当ブログの中で紹介して参ります。 皆さんに神様から 幸せのお恵みがたくさんありますように。