種を蒔く人のたとえ

管理人MあらためSです!
今日から時々松本先生の原稿を掲載して参ります。
そこでMだと勘違いされてもいけないのでSに変更した次第です。
ということで更に充実したパウロ教会のページを
これからもよろしくお願いします!
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マタイによる福音書第13章1-9、18-23節

このたとえ話しは、人々にイエス様は「種を蒔く」という言葉を使って
“神さまの支配”について説き起されています。

当時のパ レスチナの農法は、私たちには簡単素朴に見えるのですが、
種をまず蒔くということから始まり、それからその後、耕したようです。
ですからまかれた種の中には、実を結ばずに終わるものもありました。
それでも農夫は実りを信じて種を蒔き、忍耐強く実りを待ったんだそうです。

このたとえ話は当時の農法を熟知している人々に「神さまもこの農夫のように
イエス様を通して蒔かれたみ言葉が実を結ぶのをじーっと待っていらっしゃる
のだよ。」と語っているのです。

「種を蒔く」のは神さまです。(キリスト教会の人は、伝道する時によく
「種蒔きをする」と言いますが、誤解しやすい言い方です。)
神さまは多種多様な種蒔きで、実が結ばないものや、
良い麦の中に毒麦があった(マタイ13:24-30)としても、
忍耐強く、希望をもって実りを待つお方なのです。

私たちは、神さまと共に、
実りを忍耐強く希望をもって収穫を待ち望む者なのです。

岐阜聖パウロ教会 管理牧師 司祭 パウロ 松本 正俊





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