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私たちの日本聖公会は。

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管理人Sです! 今週はキリスト教一致祈祷週間です。 私たち岐阜聖パウロ教会は日本聖公会の一員です。 私たちは社会との関わりを通して、 キリストの愛を伝えることを大切にしています。 皆さんがご存知の 立教大学や桃山学院大学を始めと する 11 の学校法人が運営する大学・ 高等学校・中 学校・小学校、 専門学校・国際学校があります。 そして約 150 の幼稚園、保育園は教会に隣接し、 キリストの信仰のもとに 運営され、教育と共に愛を 伝えています。 これらは日本の開国後、英国やカナダそして米国 などから来た 聖公会の宣教師によってもたらされ 現在に至っています。 各校の「建学の精神」や「沿革」の項目をご覧く ださい。 これらの大学ではボランティアにも力を 注いでおります。 We are a member of the Japan Anglican St. Paul's Church. We through involvement with society, It is based on important that you convey the love of Christ. Everyone, including the St. Andrew's University and  Rikkyo you know  University and high schools and junior  high school, elementary school school corporation of 11  operated, There is also a vocational school and international school.

クリスマスはいつまでか。

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管理人Sです! あらためて。新年あけましておめでとうございます。 岐阜市内のあちこちに門松飾りが残っています。 この松飾りをいつ片づけるのかが毎年話題になったりするように クリスマスはいつまでかが話題になるのが今頃です。 今日11日の岐阜聖パウロ教会の礼拝で松本司祭の説教(お話)も このことが語られました。 教会や教派によっても違いますが顕現日までというのが一般的です。 顕現日は6日。 教会や教派によって違うのですがというので長いところは2月2日の 被献日という日までクリスマスというところもあります。 主イエス・キリストが生まれた日を記念するクリスマス。 「神はその独り子をお与えになったほどに、 世を愛された。」 (ヨハネ3:16)   つまり私たちのためにこの地上に現れた救い主を祝うのがクリスマス 本来の記念行事です。 この特別な出来事が約二千年前に起り、これからも続いていくのです。 神は私たちのために具体的な人(イエス)を遣わし私たちを救うという メッセージを発信しました。 この様なことを祝うのは1日では失礼というか短いですね。 新年の祝いが15日間だったり20日ある地域もあります。 クリスマスも同じように長い期間祝う価値ある出来事だと私は思います。 当教会では来週にかけてクリスマス飾りの片づけをするのです。 クリスマスを名残惜しむように。 そしてまた「クリスマス」が来ることを待ち望むのです。

説教:主イエス命名の日

管理人Sです! あけましておめでとうございます。 皆さまどの様な場所で新年をお迎えしていますか。  岐阜聖パウロ教会でも元旦礼拝がおこなわれました。 その礼拝の中のメッセージ・・・ 松本先生からのお年玉プレゼントです。 ルカ 2 : 15 - 21 皆さんに神様からの幸せがたくさんありますように。 今年も当ブロガーをどうぞよろしくお願いいたします! 飼い葉桶のみどりごは、<八日たって…> 12 月 25 日から 八日目の 1 月 1 日に<幼子はイエスと名付けられ>ました。 <イエス>という名前のヘブライ語読みは「ヨシュア」といい、 割合よくある名だったようですが、この飼い葉桶のみどりごの <イエス>というギリシア語名の名前だけは、最初から特別 違うニュアンスで名付けられ、文字通り「神は救い」を歩む お方であることを期待されて<胎内に宿る前に天使から示さ れた>名なのであります。 そして、この<イエス>という名は、「キリストは神の身分で ありながら、…(中略)…人間の姿で現れ、へりくだって、 死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 このため神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名を お与えになりました」(フィリピ 2 : 6 ~ 9 )と聖パウロが 述べるような 「あらゆる名にまさる名」を神がこのみどりごに お与えになったものでした。 この「あらゆる名にまさる名」の素晴らしさをうたい上げた聖歌 に 聖歌 352 番があります。 “イエスきみのみ名は たえなるかな、聞けば悲しみも おそれ も 消ゆ”と 1 節で歌い、“イエスのみ名は、マナとなる” “このみ名 こそ、 あふれる恵みの源となる” “み名はいのちであり道である” “世を去る時にも、み名は愛なる主のこよなき力”とイエスの み名 をたたえて歌っているのです。 私は、以前から「キリスト教の“ナムアミダブツ”?」に興味 関心が あり、機会あるたびに語り、この称名念仏の精神で祈り 黙想することをお勧めしてまいりました。 「イエスの祈り」という祈り・黙想が東方正教会の伝統があり、 これは「イエスのみ名」を、ちょうど「ナムアミダブツ」を称える ときのように、息をととのえて「...

降誕日・クリスマスメッセージ

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管理人Sです! クリスマスおめでとうございます。 教会では昨日今日とこの挨拶が交わされました。 とても喜ばしい挨拶です。  さて、本日の岐阜聖パウロ教会の降誕日礼拝の中での クリスマスメッセージを 皆さんにも少しおすそ分け。 松本先生からのクリスマス・プレゼントです。 ヨハネ福音書 1 : 1 ~ 14 節  クリスマスは「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」 ( ルカ 2 : 12 )の存在から始まる出来事です。 ヨハネの福音書では 「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている 乳飲み子」の存在を 「まことの光」(ヨハネ 1 : 9 )として示されました。 ルカの記述の主の天使が羊飼いに照らしたような、又マタイ伝の 学者たちを導いていった星のような…、いやそれ以上の特別で 神的な本物の光が“飼い葉桶の乳飲み子”を顕わしていると ヨハネは語ります。 そして続けて言うのです。「その光は、暗闇の中で輝いていて、 この世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ 1 : 5 と 1 : 9 )と。  ヨハネは他のところで「神は、その独り子をお与えになったほどに 世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を 得るためである。」 (3 : 16 )という、クリスマスに相応しいみ言葉を語りました。 “飼い葉桶の乳飲み子”の存在は、神さまがこの世や私たち人間を 愛された結果、この世にお生まれになった存在であると、語るのです。     従ってクリスマスは、私たちに対する神さまの愛が明らかにされた日 でありますし、神さまがこの世や私たち人間に乳飲み子イエスを贈って 下さった・プレゼントされた時であると言っていいのであります。 皆さんに神様からの幸せがたくさんありますように。

クリスマスイブ

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管理人Sです! ご無沙汰していました。 クリスマスイブの夜は皆さんいかがお過ごしでしょうか。 パウロ松本司祭から皆さまへクリスマスメッセージです。  ルカ 2 章 8 ~ 20 節。    クリスマスの物語は、夜の物語です。 赤ん坊の誕生を最初に知らされたのは、夜、寝ないで羊の番をしていた羊飼いでした。 天使達から知らされた羊飼いたちは、“主が知らせて下さったその出来事”を見に行こう、 と夜のうちに出かけました。 彼らが探し当てたその場所は飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子でした。 夜でしたし、きっとそのような場所でしたから明かりもちゃんとしていなかったことでしょう。    この物語がなぜ“民全体に与えられる大きな喜び”なのでしょうか?   ヒントは①夜②労働者としての羊飼い③飼い葉桶 ( 勿論これが最も重要なのですが)の 象徴的意味にあります。  そして答えは、聖歌102番の歌に示されています。 「深い闇のさなかに きらめく星は 道に迷う人への 神のまなざし」 「風にすさむ砂漠に 咲き出る花は 涙ためた人への 神のかがやき」 「疲れ果てた心に ささやく声は 待ちこがれた人への 神のおとずれ」 だから私たちも歌います。 「メリークリスマス!神のみ子よ、 ハレルヤクリスマス!歌え喜べ、喜びの夜」と。 皆さんに神様からの幸せがたくさんありますように。

無条件の赦しについて

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管理人Sです! しばらく更新しなかったので久しぶりの感じです(笑) 今日は「無条件の赦しについて」松本司祭の説教から要約です。 私は赦せないような怒りを感じてしまった自分を赦すと、相手も 赦せるようになるのです。皆さんはいかがでしょう。 「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」 マタイ 18 : 21 - 35  当時のユダヤ教では、ヨブ記 33 : 29 によれば、同じ人への赦しは 3 度までで十分と考えられていました。 イエスさまのおことば<7の 70 倍>とは、赦しの回数を数えることを 無意味にする無限の赦しであり、しかもその赦しには「この場合には」 というような条件が一切付けられていません。 つまり無限・無条件の赦し、驚くべき寛容、それは「敵をも愛せよ」の 教え( 5 : 44 )に通じる考え方なのです。  従って、有限な社会の人間は、なんだかんだ理由をつけてなかなか 人を赦せない存在なのではないでしょうか。 「赦す」ということは途方もなく難しいことだと私たちは経験しています から、 「主の祈り」の<わたしたちも人をゆるします>のことばの前で 口ごもるこ とがしばしばなのではないでしょうか?  主イエスは、ご自身を十字架につける人々のために「父よ、彼らを おゆるし下さい。自分が何をしているのか知らないのです。」と罪の 赦し を祈られました。私たちはこの主イエスのお祈りに支えられて 初めて人を赦すことが可能だという条件が備えられるのです。 つまり私たちは<主イエスの十字架の愛とゆるし>が与えられなけれ ば、人を赦すことが出来ないし、<主イエスの十字架の愛とゆるし>の 神秘・奥義をより深くわかる信仰によってのみ今日の福音書の無限・ 無条件の赦しについて受け容れる事の出来るメッセージなのです。

今日も雨。

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管理人Sです! 岐阜市はカラッと晴れることがここ最近ありません。 どうしても雨より晴れに味方してしまいます。 雨が降らないのも困りますが、ここまで続くとつい・・・。 雨ニモマケズという宮澤賢治の詩というか祈りというか、あの有名な 文言を思い出します。あの文章は賢治の死後発見されたものですが、 賢治が病床で願い祈った言葉と思われます。 賢治は熱心な仏教信仰者だったそうです。 祈り方というのは人それぞれですが、賢治の祈りはとても真摯な願いを 含んでますね。 一方私の普段の祈りは・・・とても傲慢で物欲的! 賢治に知られたら、あぁ恥ずかしい(笑) 雨を恨まず、感謝のこころで過ごしたいものです。 皆さんに神様からの幸せがたくさんありますように。