投稿

熱中症に注意!

イメージ
管理人Sです! 暑い日が続いています。 広島市安佐地区の広域土砂災害にはこころが痛みます。 犠牲者の方々に神様の御許での平安をお祈りします。 次主日(次の礼拝がある日曜日)にも皆でお祈りします。 今日は熱中症の話題です。 家の中にいても熱中症になる場合があります。お気をつけください。 ほんとうに暑いときは我慢しないでクーラーつけてくださいね。 お部屋の気温に注意して、こまめに水分を補給してください。 熱中症予防に「塩レモン」はいかが? NAVERまとめ 簡単! 塩レモン・塩レモンドリンク もし万一熱中症ではないかと思われる症状が出た場合は 119番 。 遠慮はしないで電話しましょう。 こちらも参考に。でも急な場合は119番へ。 岐阜市の 救急病院案内 058-262-3799まで(24時間体制) さて、熱中症で病院へ搬送された場合、処置の内容や入院の日数 によりますが、健康保険適用で3万円~7万円くらいかかります。 高級な病院(聖路加病院など)はもっと費用が・・・。 仕事中なら労災適用も有るようです。 また入院保険の対象になる契約などケースバイケースですが、 費用が返ってくる場合もあります。 救急車や病院のお世話になるくらいなら予防をしましょうね。 皆さんに神様からの幸せがいっぱいありますように。

安心しなさい。

イメージ
Sです! 毎日暑い日が続いています。皆さんお元気ですか? 今日から夏休みという方も多いと思います。 毎月2回ほど牧師の松本司祭の説教を掲載しています。 8月10日の礼拝で語られたお話を皆さまにもお伝えします。 「安心しなさい。わたしだ。」 マタイによる福音書14:22-33  この箇所は「奇跡物語」です。ですから、イエス様は力あるみ業を行う 「神の子」で確かにそういうお方ですよ、と告げています。  しかし、同時に当時の教会(初代教会、マタイの教会)の人に向かって 語られている話しでもあるようです。物語に出てくる「船」は教会です。 「湖・海」という表象は聖書においては「浮き世 = この世」を表します。 ですからここで教会とは、浮き世の荒波を渡っていく弟子たちの乗ってい る船(イエスの弟子たちの群れ)だというイメージがあります。  物語の初めに「イエスは弟子たちを強いて船に乗せ、・・」とあります。 弟子たちは自分の意志で勝手に船に乗ったのでなくイエスに強いられ促 されて乗ったのです。そしたら「船は・・逆風のために悩まされていた」とい うのです。イエスに従って生きるということは、この世の風向きに逆らって 進むということなんでしょうか。弟子たちが、湖上を歩いておられるイエス を「幽霊だ」といっておびえ恐怖感をもったというように、この逆風の海の うえで、弟子たちは不安になってしまうのです。  その時イエスが「安心しなさい。わたしだ。」とおっしゃって、弟子たちを 励ましました。この「安心しなさい。」という言葉は、<勇気、大胆さ>とい う意味のことばの動詞形で「安心しなさい。勇気を出しなさい。大胆に元気 でしっかりしなさい。」と、この言葉によってマタイの教会は逆風に立ち向 かえる教会になったと思われます。  「安心しなさい。わたしだ。」のみ言葉こそ、今まで教会のあらゆる働きの 原動力となってきたし、今もこれからもそのような力となる事のメッセージが ここにはあるのです。

台風が過ぎ。

皆さんこんにちは。 東海地方は台風が過ぎまた暑い夏が戻ってきましたね。 この度の台風11号によって被害を受けられた多くの方々に お見舞い申し上げます。 先週今週は6日広島、9日長崎の原爆記念日そして、15日の 敗戦記念日と、69年前の戦争にまつわる悲惨な記憶を呼び 起こす期間です。 しかしこの悲惨な記憶すら失われた人々がいます。記憶に も記録にも残っていない人々がいます。戦争で亡くなった 多くの市民たちにはそのように身内も全て全滅し、原爆によ る熱線で一瞬のうちに蒸発してしまった人たちがいます。 たとえ誰かが覚えていても年月によって風化してしまいます。 忘れてしまうということは、また繰り返すことにつながります。 歴史の学びは良いことも悪いことも伝承し、良いことは更に 伸ばし、悪いことは繰り返さないための学びです。 あの時してしまった悪い戦争はどの様に始まったのか、どの 様に終わったのかを知ることが平和を守ることになるのです。 平和を守るのは武器ではなく知識と知恵です。 私たちは学ぶことでこの平和を維持しているのです。 胆略的な武力行使容認は、戦争への一歩につながります。 No More War, No More Hiroshima , No More Nagasaki! Asahi Digital News 岐阜聖パウロ教会 facebook

パレスチナ・ガザへの祈り

イメージ
管理人Sです。 毎日のように伝えられているイスラエルとパレスチナ・ガザ地区の 戦争のニュースには多くの方が心を痛めていると思います。 報道でイスラエルは7時間の休戦を決めたと伝えています。 (下記ニュース参照ください) 神はこのことを私たち同様に嘆き悲しんでいます。 パウロ教会では昨日(3日)の礼拝でもガザの犠牲者への祈りをしました。 そして武力での解決を一刻も早く止めるように祈りました。 私たちは非力ではありますが、無力ではありません。 私たちの力は祈りです。 武力による解決は武力によって崩れるのに、この地域の人々はまた武力 行使を選んでしまうのです。本当に愚かなことです。 指導者たちは安全なところにいて命令だけ出すのです。 そして犠牲になるのはいつも市民です。 戦争はいつの時代も理不尽で人々の絆も断つ恐ろしい行為です。 歴史実態からこのことを学んでる人は武力行使より、話し合いによる交流が 平和維持に有効であることを知っているはずです。 今すぐ話し合いをして、解決するべきです。 人間が起こしたことは、人間が解決できるのです。 日本も武力行使をするとこの様なことに巻き込まれます。 そうならないように憲法9条が大切なのです。 自衛隊を軍隊にしてはいけないのです。 イスラエル「7時間休戦」発表 ガザ死者1800人超す朝日新聞 デジタル版より エルサレム=山尾有紀恵 2014年8月4日09時54分 朝日新聞 デジタル版より

天の国とは・・・

イメージ
管理人MあらためSです! 毎日暑いですね。 今回は27日(日)の午前と午後のことをお伝えします。 先ず午前の礼拝から松本先生のお話をどうぞ。 「天の国」のたとえ 福音記者マタイは、「天の国は次のようにたとえられる。」というフレーズで、 主イエスが「天の国」について語っておられるのを記します。 そこで「天の国はどのような場所かなあ?」という問いをもって聖書を読みますと、 私たちは肩透かしを食らいます。 主イエスは、「からし種のたとえ」「パンだねのたとえ」 「畑に宝を見つけた人のたとえ」「高価な真珠を見つけた人のたとえ」 「よい魚は器に入れ、悪い魚は投げ捨てられるというたとえ」の五つのたとえ話をもって「天の国」についてお話しされたのでした。 最初の二つは“始めは人目につかないほどの存在であっても、 それはやがて全体を変え大きなものになる”というのが 天の国ですよ、 と語られていますし、 又続く二つの話によって天の国とは、“持っている持ち物をすっかり 売り払っても 手に入れたくなるほどの価値があるもの”ですよ、 と語られています。 (5つめのたとえは前4つとは趣が異なる話しで、イエスさまご自身のことばというよりもマタイの付加的話と見られています。) つまり、この主イエスが語っておられる「天の国」とは、 場所とか空間的なところを説明していません。 そうではなく「天の国」を“神の支配”として語られているのです。 「天の国」が、この“神さまの支配”ということならば、これは私たちの現実を 超えている世界です。ですから人間の理屈・解釈だけでは小さいし、 限界があります。 何かを分かったように思うのは“神さまの支配”の一部をわかったに すぎないのです。 そこで主イエスはおっしゃいます。 「何よりもまず、神の国(天の国)と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)と。 管理牧師 司祭 パウロ 松本 正俊 つづく。

Gifu St. Paul's Anglican Church. Open House.

イメージ
27日(日曜日)にこにこサマーフェスタです。 詳しくは写真のチラシをご覧ください。 petsa at oras : Hulyo 27 ( Linggo ), 11:45~15:00 Gumagamit ako naghihintay para sa iyo !  Corner ng ​​ mga Pilipino! Next Sunday (July 27),  11:45~15:00 Gifu St. Paul's Anglican Church. Open House. Anyone can join! 聖パウロ教会の地図:Paul's Map

種を蒔く人のたとえ

イメージ
管理人MあらためSです! 今日から時々松本先生の原稿を掲載して参ります。 そこでMだと勘違いされてもいけないのでSに変更した次第です。 ということで更に充実したパウロ教会のページを これからもよろしくお願いします! ☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★ マタイによる福音書第13章1-9、18-23節 このたとえ話しは、人々にイエス様は「種を蒔く」という言葉を使って “神さまの支配”について説き起されています。 当時のパ レスチナの農法は、私たちには簡単素朴に見えるのですが、 種をまず蒔くということから始まり、それからその後、耕したようです。 ですからまかれた種の中には、実を結ばずに終わるものもありました。 それでも農夫は実りを信じて種を蒔き、忍耐強く実りを待ったんだそうです。 このたとえ話は当時の農法を熟知している人々に「神さまもこの農夫のように イエス様を通して蒔かれたみ言葉が実を結ぶのをじーっと待っていらっしゃる のだよ。」と語っているのです。 「種を蒔く」のは神さまです。(キリスト教会の人は、伝道する時によく 「種蒔きをする」と言いますが、誤解しやすい言い方です。) 神さまは多種多様な種蒔きで、実が結ばないものや、 良い麦の中に毒麦があった(マタイ13:24-30)としても、 忍耐強く、希望をもって実りを待つお方なのです。 私たちは、神さまと共に、 実りを忍耐強く希望をもって収穫を待ち望む者なのです。 岐阜聖パウロ教会 管理牧師 司祭 パウロ 松本 正俊