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Gifu St. Paul's Anglican Church. Open House.

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27日(日曜日)にこにこサマーフェスタです。 詳しくは写真のチラシをご覧ください。 petsa at oras : Hulyo 27 ( Linggo ), 11:45~15:00 Gumagamit ako naghihintay para sa iyo !  Corner ng ​​ mga Pilipino! Next Sunday (July 27),  11:45~15:00 Gifu St. Paul's Anglican Church. Open House. Anyone can join! 聖パウロ教会の地図:Paul's Map

種を蒔く人のたとえ

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管理人MあらためSです! 今日から時々松本先生の原稿を掲載して参ります。 そこでMだと勘違いされてもいけないのでSに変更した次第です。 ということで更に充実したパウロ教会のページを これからもよろしくお願いします! ☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★ マタイによる福音書第13章1-9、18-23節 このたとえ話しは、人々にイエス様は「種を蒔く」という言葉を使って “神さまの支配”について説き起されています。 当時のパ レスチナの農法は、私たちには簡単素朴に見えるのですが、 種をまず蒔くということから始まり、それからその後、耕したようです。 ですからまかれた種の中には、実を結ばずに終わるものもありました。 それでも農夫は実りを信じて種を蒔き、忍耐強く実りを待ったんだそうです。 このたとえ話は当時の農法を熟知している人々に「神さまもこの農夫のように イエス様を通して蒔かれたみ言葉が実を結ぶのをじーっと待っていらっしゃる のだよ。」と語っているのです。 「種を蒔く」のは神さまです。(キリスト教会の人は、伝道する時によく 「種蒔きをする」と言いますが、誤解しやすい言い方です。) 神さまは多種多様な種蒔きで、実が結ばないものや、 良い麦の中に毒麦があった(マタイ13:24-30)としても、 忍耐強く、希望をもって実りを待つお方なのです。 私たちは、神さまと共に、 実りを忍耐強く希望をもって収穫を待ち望む者なのです。 岐阜聖パウロ教会 管理牧師 司祭 パウロ 松本 正俊

愛岐伝道区信徒会

管理人Mです! 1年の半分を折り返し7月になってましたね。 ご無沙汰してますorz   梅雨の合間の先週6月29日に名古屋聖マタイ教会で行われた信徒会について、 書いておきます。 この信徒会というのは聖公会の愛知県と岐阜県の11の教会の信徒さんに向けた 研修会で、 年1回おこなわれます。 今年は幹事教会が私たち岐阜で 103名の参加を頂きました。 今回の研修会のテーマは「終活」でした。 終活とは・・・wikiで調べて・・・分かりましたね。ここは手抜きします(笑) 若い人はカンケーねーと言うかも知れませんが、親のことや、おじいちゃんおばあちゃん のことを思い出すと、ちょっと関係してくる内容です。 今回は東京聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂・嘱託司祭の 関 せき   正勝 まさかつ 先生によ る 基調講演 から 始まりました 。 ところで聖路加病院はご存知?またwikiでお願いします(笑) 関先生はその病院の礼拝堂の牧師さんです。 以下はその講演の内容を本当に短く紹介します。 病院にいる 視点から、 延命措置 や 脳死 など死の 基準が 当初よりも 緩やかにな り、 医療はますますビジネス化 していると感じます 。 こ れに 対しリビングウイル(生前に意思表示した書面)が 重要さを増している 。 在宅医療はまだごく一部で病院での死が一般的である。その 終末期医療で人らしく 尊厳ある死を実現するためには自分の病状にたいする真実の告知が不可欠。 その際医師との信頼関係が築かれていること。また、家族や親しい者と自らの死について 話し合っていることが大切。 その人生にふさわしく死を迎えることこそ「尊厳ある死」で、人は生きてきたようにしか 死ねない。リビングウイルに書き込まれる事柄もその人にとって「ふさわしい」ものが 記されなければならないと結ばれました。 これが関先生のお話ですが、死を考えるとその前にある「生きること」がクローズアップ されてくるのですね。 この講演を聞いた方々はさっそく家族でこれからのことを話してみたいということでした。 終活のコツはコミニケーションだったのですね。 人生の最期の時を人間らしく、安らかに迎えるためには家族や周りの人との協力や サポートがあるといいのです。 え?お一人様は?そう...

もうすぐイースター (Easter worship)

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Guidance revival Date sacrament of (Easter worship). It is the worship of Japanese Gifu Paul's Church. There is guidance of worship in English below. 聖公会をはじめキリスト教界は聖週と呼ばれる聖なる1週間を迎えています。 聖週の説明は様々なサイトで紹介されていますので省きますが、 いよいよ20日日曜日は「イースター」(復活祭)です。 私たちクリスチャンは「死は終わりではない」という考え方で生きています。 これはキリスト教の教義(教え・信仰)のひとつです。 死はとても怖いと考えるのが一般的です。 しかし、その最期を過ぎればまた新しいいのちが与えられるのです。 少し難しいのですが、簡潔に説明してしまうと、 私たち地上での生涯を過ごしていますがその命は神様から与えられました。 そして息を神が引き取られ、また新しい天上での生涯を与えられます。 そして常に地上と天のつながりは続いていくという信仰(教義)です。 この教義はこの聖週のできごとから生まれました。 いまから2,000年も前のできごとです。 さて、20日のイースターを心待ちにしているTさんがいます。 その方は目が見えないご高齢のご婦人です。 いつもは岐阜県の隣の滋賀県の老人福祉施設で生活されています。 目が見えないので手紙のやり取りは困難です。 最近は耳も聞こえなくなってきていて電話も困難になってしまいました。 しかしTさんはいつも岐阜の教会の皆さんのことをお祈りされています。 私たちもTさんのことを思ってお祈りしています。 このように他人同士でも神様の腕の中にいるので離れていても常につながっています。 いま世の中は通信回線でつながっている時代です。 しかし、回線がつながらない世界とも常につながることができるとしたら素敵ですね。 そんなつながる世界への入り口が、教会なのです。 日本聖公会 岐阜聖パウロ教会 復活日聖餐式(イースター礼拝)のご案内。 4月20日(日) 午前10:30~12:00 どなたでも参加できます。 ・はじめての方は入り口でその旨をお申し出ください。  ...

別れと出会いの季節

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管理人Mです! 列島は春の便りが届く一方で強風や降雪も。 北日本や中部も山間部は雪がすごかったですね。 さて、この季節は卒業式シーズンでもあります。 この春に環境が変わる方々も多いのでは? そして4月になると新たな出会いが訪れる季節に。 教会の暦も今は慎みの季節と呼ばれ、派手なことは慎むことが求められます。 その後慎みが明けると、イースター(復活祭)となります。 冬があるから春の暖かさが嬉しく感じます。 不必要なことなどないのです。 社会も教会も新しく生まれ変わるということをこの季節に学ぶのですね。 このことを詳しくお知りになりたい方は是非私たちの教会へどうぞ。 皆さんに神様からのお恵みがたくさんありますように。 写真は教会に咲く「レンテン・ローズ」

だいじに・東北

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管理人Mです! 皆さんお元気ですか? 先日3月11日は各地で東日本大震災被災者の方々に向けて 共に祈りを捧げました。 各地の祈りはWebニュースでも取り上げられてましたね。 私たち岐阜聖パウロ教会では毎主日の(毎週日曜日の)礼拝の中で 東日本大震災の祈りに加え、長野県栄村(中部の同じ仲間)の 震災被災地のことも忘れずに毎週、毎回、お祈りをしているんですよ。 さて今日は「いっしょに歩こう!パート2」のことを紹介します。 日本聖公会・東北教区では東日本大震災支援「いっしょに歩こう!パート2」の ボランティア活動をおこなっています。 皆さんはボランティアに興味ありますか? 福島県相馬郡新地町に活動拠点を設け、 被災して困難の中にある方々と“いっしょに歩く” というスローガンの下、様々な活動に取 り組んでいます。 東北教区のサイト↓ ↓ ↓ このリンクから「だいじに・東北」へ。 http://www.k4.dion.ne.jp/~nskk.toh/ 岐阜聖パウロ教会も協力しています。 東北に行けないけどボランティアしてみたい人は是非教会に来て手伝って下さい。 今なお被災して日常を取り戻せない方々のことをこころに想い浮かべましょう。 一方で私たちは、普段と変わらず日常を楽しく過ごしています。 その感謝を忘れずに、私たちができることを、有形無形の支援をしていくこを大切にしたいですね。 今年も小さな活動ですがしっかりと続けていきます。 皆様のご協力をお待ちしています。 支援イベントの事などは後日当ブログの中で紹介して参ります。 皆さんに神様から 幸せのお恵みがたくさんありますように。

主イエスの再臨

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前回も触れましたが、クリスマスはイエスの誕生日を迎えるまで「待つ」ということがキーワードなのですが、実はそれだけではないのです。 もうひとつ待っているのは「主イエスの再臨」です。 再臨とは再びイエスが来るということですが、それを「終末」とも言います。 終末をこの世の終わりという人がいますがそれは違います。 イエスは恐ろしい人ではないからです。 つまり終末は恐ろしいものではないのです。 クリスマスは終末を越えた再臨のイエスを待つことも意味します。 世の映画はオドロオドロシイ終末を描いてますが、わたしたちクリスチャンには素敵な終末なのです。 もう少し柔らかく解説すると、イエスは愛の人でした。 終末のイエスの再臨が世の終わりになっちゃうのは変ですよね。 待つ事にも愛が働いていますから、クリスマスは誰かを想う季節でもあります。待つことは愛の中にあるなんて、やっぱり素敵なことなんです。 皆さんに良いクリスマスが来ますように!